>>148ありがとうございますおっしゃるように夫は何かに付けて「お金」でした。幼い頃から苦しい生活をして育ってきた人なのでやむをえないかもしれません。でも私の不満も同様に「お金」だろう、としか・・・お疲れ様、ありがとう。そんな言葉が欲しかった。でも愚痴れば「みんなやってる」「誰でもやってる」「みんな同じ」「うちは子供たちもぐれずに育っていて恵まれている」そんな言葉だけでした。もともと健康だったのがここ数年時々具合悪くなることがあり、ここ数ヶ月で、2,3度ほど動けない何日かを過ごしました。そのときかけられた言葉にもまた傷ついたのです。夫にしてみればそれもまた思いやりの言葉だったのでしょうが、違う、と大きなズレを感じました。悪くなった耳も、夫がいつも座る方角の耳、よく声がする方の耳。ときどき夫が知人に「夫婦ってのはなあ~」と話しているのを耳にしてそれを聞く時「妻の気持ちをわかってくれていないあなたに夫婦を語ってほしくない」そんな気持ちでいたたまれなくなりイヤホンで音楽を聞きながら気をそらしていたこともありました。「聞きたくない」そんな思いでした。3人息子たち、特に昨年秋に家を出た次男は夫の言動が他の人のそれとずれていることを理解してくれていてずっと私のぐちを聞いてくれていて家を出る時話は聞いてやるよ~と言ってくれしんどい時はLINEなどで愚痴ることもあります。夫と言い合いになったとき、間に入り、私の言いたいことを伝えようとしてくれたこともあります。でもやっぱり理解はしてもらえませんでした。だから私が本気で動こうと相談したら乗ってはくれるかもしれません。でも、だからこそ、私一人他人になればいいのかと、なにがあっても子供たちにとって夫は父親です。夫の母が認知症でなくなりましたが、子供たちも父親も同じ道を辿りそうなそんな漠然とした不安を持っています。もしも、万が一そうなった時、あるいは私の父も病気で亡くし、母が最期まで看取りましたが、その役目を果たさないまま離婚となればやはり子供たちに迷惑を掛けるそんなふうに考えてしまうとこのままきちんと最期まで責任を果たさないといけないのではと考えてしまうのです。続きます